アドバイスと 消せない教育
もうだいぶ前の話であり、そしてこのニュースhttp://kodomo-manabi-labo.net/not-eraser/ に合致したので掲載します。自論です。
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「ご助言ありがとうございます。」以前 こんな言葉を言われたことがある。そしてその人はこう続けた「人はいろいろな意見があるので 、聞かなかったことにします」。
驚きだった。
いろいろな意見や考えがあるからこそ、どうしてそう思うのか、そのプロセスを知りたいと思う。それが 人のコミュニケーションだと 私は思うからだ。
ちなみにわたしは助言などナンセンスだと考える。“助言をする”という行為は、大抵の場合において 無意味である。そもそも 本当の意味で “言葉で人を助ける” ことができるのであれば、世の中 苦労しない。もし「アドバイスをください」と言われたならば、大抵の場合 求めたその人はすでに 前に進む術を見つけていて背中を押してほしいだけの場合が多い。
しかし、少数の場合では有効であると感じる。
例えば、アドバイスを求めた人間が 「アドバイスをもらって原稿が良いものになった」と実感したならば、その時に初めて “助言” は “助言”として効力を発揮する。
しかし、基本的にあかの他人同士 感覚や心情まで共感しない限りアドバイスは役に立たない。逆を言うと、感覚や心情が理解し合えて 初めてアドバイスが成り立つ。しかし その場合はアドバイスに効果があるのではなく その人らが築きあげた 人間関係が素晴らしい と私は考える。
仮に “自分が助言をしてあげよう” と思うのであればそれは、 まるで独りよがりの独裁者である。
そして そういう人間の “助言” はおおかた役にたたない。
そういう考えから私は、自分の思いや意見を言う時はあるが、どんな場合においても 助言などした覚えは 全くない。今回の例で言えば、私は したつもりがない “助言” に対して 明らかに思ってない“感謝”の言葉。
なんという茶番ではないかっ!
そして「聞かなかったことにする」という捨て台詞。
この件で学んだことは、「助言ありがとうございます」などと、こういうことを言う人間は 自分が助言することが好きだということ。
しかし 人の意見に対しては「なぜこの人はこういう風に思うんだろう? 」 と疑問を持つこともなく、「なぜ?」の問いかけもなく、自分に受け入れられないことは「聞かなかったこと」として消して最初からなかったことにしてしまう 独裁者だ。
しかも こういう人間がまた子育てをしていたりするものだから すえ恐ろしい。
人の個性を受け入れられず 基本的に興味がない。したがって人の成り立ちやプロセスにも全く関心を示さない。
人として とても 大切な 「なにか」を 置き去りにしてきてしまってるのではないだろうか。
プロセスを見ない、そんな教育が日本なのかもしれない。と、この記事を見て思った。
http://kodomo-manabi-labo.net/not-eraser/
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本文から一部抜粋
消しゴムによって、子どもたちが書いた内容を初期化させないことで、教師は子どもたちの情報のすべてを把握できるのです。
プロセスも含めて“思考の進化”が記録されることで、子どもの個性までが筒抜けになるため、採点する教師としては的確な評価と指導が可能になります。